48140「破綻を恐れない芸術家」のイメージあるPOOさんだけど、ぼくの知ってるPOOさんは、危なっかしくてみてられない、とても不器用な人だった。東京芸大高校のとき「教室で焼き芋焼いて退学になった」って言ってたのがまずひとつ、かと思えば'92か'93年の日本ツアーでステージから落ちて足を骨折してニューヨークに帰ってくるし。3ヶ月松葉杖の生活でしたねぇ(笑) マクロビ・オーガニック食しか食べないから、買い物リストが細かくて!「Jefferson Marketでこれ、Balducciでこれ!」。それから14St.10th Ave.のMeat Factory DistrictのクラブでのGig、久保田利伸も見に来てたあのとき、POOさんがステージで興奮して落っことしたレンタルのDX7、結局、楽器屋から$200でぼくが買い取りして解決しました、知らなかったでしょ(笑)。どんなに貧窮してても貴族のように暮らしてたし、メンバーには気前良くて、ビジネスとしては赤になってばかり。ある年、ASCAPからの$3000の印税小切手が一枚だけ送られてきたことがあって、でも、現金化できずにいつも財布に入れてて見せてくれた。だってIRSが不払いの税金を第一抵当でもっていくのが分かってるから。だから、とっぱらいのGigばかり。でもすぐ気前良く、おごっちゃう。「江戸っ子は宵越しの金を持たない」を地で行ってたな〜。バブルの前からChelseeのアパートワンフロアーに月$500で住んでた、rent-controlledじゃなかったら当時でも月$3000はしたはず。日本の支援者に借金して手に入れたスタインウェイが置いてあった。スピードダイアルのNo.1にマイルスのカリフィルニアの自宅番号、マイルスが死んで随分たってからもずっと残っていた。酔うと'79年の"幻の"セッションの話をなんども聞かされた、なぜ録音がリリースされないかも。死んでからも、いつもマイルスの方を見てた人だった。こころより、ご冥福をお祈りいたします。